合理的な奏法との出会い

 私自身が、自分の奏法に疑問や何かしらの違和感、ある意味での『限界』そして、今感じているものではないものを探求しなければ・・・という『気づき』を感じたのは

高校2年生の中ごろでした。



それから、およそ5年ほど先、今の奏法と出会うことになるのですが…。


その間、また気づく以前の間私はピアノという楽器を一生懸命『弾こう、弾こう』と力で押し付け、指を必要以上にバタバタと無駄に駆使し、奏法以前に楽器から鳴ってくる音さえも『音楽
の美しさ』を耳で感じることもなく、ある意味で『騒音』にも近い音を聴き続け学習してきてしまったように『今』振り返ると感じます。その当時、『脱力奏法』という言葉、またそういった奏法に
関して様々な指導を確かに受けた時期はありましたが、私にとって今感じている音楽はそれとも違う本当に優れたテクニックを習得また今でも学習させてもらっているように感じています。

また、それと共にもちろんそのテクニックと出会えたことをとても感謝しているのですが…。


そもそも、自分の弾き方にある意味での限界を感じたのは、そこに合理性のない『弾きにくさ』を自分自身で痛感したことに始まります。

ただ、当時の私はそれがなんであるか、またそれを悩みに感じてはいるものの、逆に言えば『弾きやすい』奏法をどうやって身に付けたらよいのか、当時の先生など周りに相談する
すべも持ち得なかったようにも感じます。それほどに感覚で感じていることなのですから感じている当人にしかある意味で理解し得ないような繊細な領域だったのです。

そして、月日は流れ。

大学も卒業間近になった卒業試験を2週間前に控えた或る日でした。

それは突発的に私の手を襲いました。

腱鞘炎による激痛です。

音楽家としてピアニストとして腱鞘炎を告白することは奏法の破綻を意味し、恥ずかしいことだ・・・とおっしゃられる方もおられるようですが私自身はその経験が
どなたかの役に立てればそんな幸いなことはないと思っていますので、ここに正直に自分のことを書き綴らせていただきたいと思います。

奏法の破綻も要因の一つに考えられるかもしれませんが大切なことは起った事象に対しどのようなプロセスを考えるかということと思います。

卒業試験を間近に控えた中でのハプニング…。
そんな手を抱えたままでの卒業試験。
終了後も動かない手。収まらない痛み。

精神的にも肉体的にもどうしたらよいのか本当に苦しい時期を過ごしました。


同じように腱鞘炎で苦しまれている方もおられるかもしれないので私の手がどのように再起を果たしたかをお伝えします。
私は横浜市立大学医学部付属病院整形外科外来を訪れたのです。
ピアニストの手を専門に扱う酒井先生の下を訪れました。


そして、手も動くようになり、卒業後の新人演奏会にも出演させていただく光栄に与り、その後に大野眞嗣先生との出会いが待っていたのですが…。

ですが、その時の私はまだ奏法に関しての疑問も晴れず、またその先の生活であったり、

『音楽をどうやって続けていったらよいのか?』

という学生生活にピリオドを打ったからこその悩みもピアノとは別の部分で感じ続けていました。



それまでも奏法に関して疑問を感じたことに端を発し、どうしたらそういう技術と出会えるのか自身でも考えていたわけですから、大野先生との出会いはある意味で必然
であり偶然ではなかったように思うのですが、学生ではなくなったからこそ、結果苦しい状況を抱える中で先生と出会わせてもらえたことは運命だったようにも思わずにいられません。



そして、初めてのレッスン。


先生の出された音を聴いた途端に『これだ!!!』と心底感じました。
澄み渡る音色、明るいソプラノを思わせるような響き。
その作品作品の内面性や音楽を多種多彩な音色で奏でるその表現。

私が感じたい音楽はここにあると感じたのです。

本当に美しい旋律でした。
それは今までにない、自分自身でこんな演奏が出来たらどんなに幸せだろうと考えるほど、その先生の表現は素晴らしかったのです。

でも、自分にそんなことが出来るのか?!という不安。
また、出来ないよ、きっとだめだ…、という不甲斐無さからくるあきらめも自分になかったといえば嘘になるでしょう。

ですが、大野先生はそんな私の不安をよそにおっしゃってくださいました。

今思えば私が動揺、また萎縮してしまっていたことをとっくに理解し見抜いてくださっていたとも考えられます。

『君はピアノを続けてもよいんだよ』とお話しくださったのです。
私自身その言葉にどんなに心底苦しかった思いが解放されたかわかりません。

そこからが、私の再出発でした。

以前から自身で疑問を感じていた奏法についての学習です。

再構築、やり直すというスタンスを受け入れることは私にとってなんら苦痛でもありませんでした。

それよりも出会わせてもらえた事の喜びが大きかったのかもしれません。






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